行政と市場の間を埋めるボランティアセクター
先日、某大学で開かれた子ども食堂の取り組みについての研究会に参加してきました。大学の研究者、社会福祉協議会の方々、児童養護施設の方など多くの方がいらっしゃっていました。
日本では子どもや老人のケアはそれぞれの家庭の中で行うものとされていました。当然その担い手は女性でした。
やがて核家族化が亢進し、親の面倒をみられる子どもの数が減ってくると老人のケアは老人福祉施設というサービスとして家の外に出ていきます。子どものケアも同様で保育園が働く女性に代わって子どものお世話をしています。
このように、もともとが家という親密圏の中で、そして女性によって行われてきた労働なので、それがアウトソース化されてもその社会的地位はかつての家における女性の地位の低さを引きずっているため、低いままなのは周知のとおりです。
そのような現状で、子どもの食をめぐる問題に世間が気づきにくいのは当然といえば当然です。
また、弱者の手当に市場の原理は働きにくいため、民間の力でなんとかするということも難しい。
そこで、期待されるのがNPOを中心としたボランティアセクターの取り組みです。日本はいつでも、行政の支援と市場の原理の仕組みから漏れた弱者の手当をするのは、ボランティアセクターでせっせと汗をかく人びとです。
今回の勉強会では、そのような最前線で奮闘する人や組織のお話が聞けました。
とはいえ、問題もたくさんあるようです。次回はその問題点について考察してみたいと思います。
塾講師はブラックなのか?
僕は今でこそ、いくつかの大学で教壇に立たせていただいているが、20年近く塾講師として働いてきた。
もちろん、今も続けている。
大学が忙しくなってきたので、そろそろこちらは引退しないといけない感じになってきているが、好きだから続けられている。
塾の多くは3月1日に年度替わりだ。
その日に長年一緒に頑張ってきた同僚が退職した。
別々の教室に勤務していたので、もう何年も会っていないのだが、結婚もして子どもも出来て、私生活は順調そのものだ。
しかし、これが裏腹で、かわいい妻と子どもが家に居ると、帰れない、休めない塾講師は辛い。
土曜日はもちろん、日曜日も出勤の日が多いし、長期休暇も合宿だの、研修だので駆り出される。
おそらく毎日後ろ髪を引かれる思いで出勤していたのだろう。
そんなストレスは彼の身体を蝕み始めた。
先日、二度目の入院が必要な病気に罹患し、そこで彼は心を決めたのだろう。
俺は俺の人生を生きられているのか?
その答えは「否」だった。
だから彼は退職を決意したのだ。
そんな塾講師はブラックなのか?
ブラックだ、と断言はしないでおくが、
正直、塾業界は新卒で入るのをオススメしない。
つぶしの効くスキルが養えるわけでもないし、狭い世界だし、夜や休日メインの仕事なので、職場以外の人脈も広がらない。
20年近く塾講師を続けている僕も職場関係で出来た人脈は皆無に等しい。
教育に関心があるなら、塾講師ではなく教員免許を取って学校で働くことをオススメする。
就職活動解禁日に思う 就職しておけばよかったと
今日大学に行ったら、フレッシュなリクルートスーツに身を包んだ三回生たちが、たくさんいました。
ここ数年、猫の目のようにくるくると変わる就職活動解禁日が今年は3月1日なんですよね。
今年も去年に引き続いて売り手市場だと聞きます。このままサラリーマンになってもいいのかな?と漠然とした不安に苛まれている学生さんも結構いるかと思います。
どうなんでしょう?案外いないのかな?
僕が就職活動をしていた90年代後半は、文系の学生を中心に夢見がちな野郎が結構いて、就職活動よりもクリエイティブなことをぶちあげたいぜ!アート系で食って行きたいぜ!編集者とかかっこ良くない?編集やったりコラム書いたりとか。そんなアホなことをかなり本気で思い描いていた奴が少なくなかったです。
何を隠そう、この僕がその筆頭でしたから。
結局、そんな甘いモノでは無く。
僕は結局就職活動はほとんどせず、建築家になるんだ!と美大の通信課程に飛び込んでしまいました。
僕にとっての失われた10年の始まりでしたw
そんなわけで、売り手市場の今、クリエイティブとか独立とかアートとかは一旦捨てて、スーツをぱりっと着て、就職してください。
まずはサラリーマンになるほうが、その後何かやるにしてもずっと近道のような気がします。
サラリーマンになるとお金と信用が得られますから。
それがないところで夢を叶えようとするとこれはしんどいです。
就職活動解禁日に思うんです就職しておけばよかったと。
今は、めぐりめぐってようやくやりたいことができつつあるので、まあ結果オーライですけどね。
社会人のキャリアチェンジとファーストキャリア―設計事務所の事例
昨日も建築士の方にお話を伺いました。
Sさんという独立して5年になる方です。
彼は大学を中退し、その後25歳で専門学校に通い、一級建築士を取得されました。
彼は京都にある通信制の大学に在学しているのですが、そこの学生さんを一人雇用されています。
彼いわく、設計という仕事を取り巻く環境が厳しさを増す中、一人でも多くの仲間を雇用することで建築の世界に貢献したいと。
たしかに、キャリアチェンジをしようと大学(社会人にとっての現実的な場所は通信教育課程ですが)に入り、猛勉強の末無事に卒業できたとしても、彼らを受け入れる場所があまり存在していないのです。
ゆくゆくは、彼らのうちの誰かが立派になり、雇用を生み出す側となるポテンシャルを持っていたとしても、重要なファーストキャリアが確立できない。その場がない。
今回、インタビューさせていただいた彼は、そのファーストキャリアを積むための場を学生さんやOBの方に提供されています。
キャリアチェンジをした方がいきなりプロの最前線に放り込まれるのはなかなか無理があることです。でも、Sさんのようにキャリアチェンジに理解があり、社会人学生もされている方が受け皿的な機能を持つ職場を提供されていることの持つ意味は非常に大きいと思っています。
社会人教育と職業をつなぐための一つのモデルケースとして今後も注目していきます。